このブログでは、株式投資を少し変わった角度から考えています。
それが、
「朱子学で株式投資を読む」
という考え方です。
最初から完成された投資理論として始めたわけではありません。
半分は思考実験です。
企業を調べ、株価を見て、実際に売買しながら、
「朱子学の考え方って、意外と株式投資に使えるんじゃないか?」
と考えるようになりました。
私自身も朱子学を完全に理解しているわけではありません。
むしろ記事を書きながら調べ、
「なるほど、そういうことか」
と読者と同じタイミングで学んでいくスタイルです。
この記事は、今後その考え方を忘れないための備忘録として残しておきます。
株価という「気」と、企業に存在する「理」
朱子学には「理」と「気」という重要な考え方があります。
かなり乱暴に株式投資へ置き換えると、私はこう考えています。
理
企業や市場の奥に存在する構造。
例えば、
企業が何によって利益を生んでいるか
財務は健全か
業界に長期需要があるか
競争力はあるか
経営陣が合理的な行動を取っているか
その商品やサービスが社会から必要とされているか
産業全体として資金がどこへ向かうべきか
こういった、短期間では大きく変わりにくいものです。
これを私は投資における「理」と考えています。
気
一方の「気」は、もっと動きの激しいものです。
例えば、
株価
出来高
投資家の欲
恐怖
熱狂
SNSの話題
ニュース
短期的な資金流入
利益確定売り
パニック売り
などです。
株価は毎日動きます。
しかし会社の競争力や財務が、一日で全く別物になることは普通ありません。
つまり市場では、
理は比較的ゆっくり動き、気は激しく揺れる
と考えることができます。
「気」に振り回されず「理」を見る
株をやっていると、どうしても株価ばかり見てしまいます。
昨日より50円上がった。
今日は100円下がった。
SNSでは強気の人が増えた。
悪材料が出た。
こうしたものは非常に目立ちます。
しかしそれは多くの場合、「気」の動きです。
重要なのは、
その企業の根本的な「理」まで変わったのか?
と考えることです。
例えば、良い会社の株価が短期的な需給だけで下がっているなら、「気」が乱れているだけかもしれません。
逆に、株価は猛烈に上昇しているのに企業価値がそれほど変わっていないなら、「気」だけが膨張している可能性があります。
この区別ができると、株価に少し振り回されにくくなります。
格物致知=企業を調べること
朱子学には「格物致知」という言葉があります。
物事を一つずつよく調べることで、その背後にある道理を知る。
株式投資との相性が非常にいい考え方だと思っています。
企業を調べる時も同じです。
決算を見る。
IRを見る。
商品を見る。
競合を見る。
市場を見る。
その企業が実際に何をやっているのかを確認する。
一つずつ「物」を調べていくと、
「この会社はなぜ儲かるのか」
あるいは、
「なぜこの会社は儲からないのか」
という構造が見えてきます。
PERやPBRだけを見るより、私はこの方が面白いと思っています。
例えばタウンズをどう見るか
感染症診断薬メーカーのタウンズを例にします。
数字だけを見ると、コロナ特需後の業績悪化が目立ちます。
しかし商品を見ると、
検査時間を短縮
有効期限を大幅延長
在庫リスクを減らす
卸が在庫を持ちやすくする
急な流行時の販売機会を増やす
という商品改良を進めています。
これを見ると、
株価や直近利益という「気」は弱いが、企業が問題を解決しようとしている「理」はそれほど悪くない
という見方ができます。
これが、このブログでやりたい投資の読み方です。
双葉電子はどうか
双葉電子工業の場合は逆に少し難しい。
財務は強い。
技術もある。
資産もある。
ドローン、無線制御、FA、金型など、使えそうな手札もあります。
つまり「理」になり得る素材は豊富です。
しかし、
それを何によって利益へ変えるのか
がまだ明確ではありません。
構造改革という「守り」は進んでいる。
しかし「次に何で稼ぐのか」という理が、まだ十分見えない。
だから投資家として完全には信用しきれない。
こういう判断にも使えます。
株価が上がっているから「理」があるとは限らない
ここは重要です。
株価が上がっていると、その企業には何か素晴らしい理由があるように見えます。
しかし実際には、
流行
テーマ
SNS
短期資金
踏み上げ
投機
だけで上がる場合もあります。
つまり、
気が強いから理まで正しいとは限らない
ということです。
逆もあります。
株価が下がっているからといって、企業価値まで悪化しているとは限りません。
株式市場では、「気」の動きが「理」から大きく離れる場面があります。
私はそこを探すのが投資の面白さだと思っています。
居敬=浮かれないこと
朱子学には「居敬」という言葉があります。
これも投資に使えそうです。
かなり簡単に言えば、
自分の心を乱さず、姿勢を正して物事に向き合う
という感覚です。
株価が上がると人間は浮かれます。
下がると恐怖を感じます。
そして欲や恐怖が強くなると、判断を誤ります。
以前は600円で売ろうと思っていた株が700円になると、
「800円まで行くかもしれない」
と思います。
800円になると、
「1000円まで行くかもしれない」
と思う。
欲には終わりがありません。
だから投資では、
欲を完全になくすのではなく、欲に判断を乗っ取られない
ことが重要だと思っています。
知るだけではなく、実際に行動する
企業をどれだけ調べても、売買しなければ利益にはなりません。
逆に、考えずに売買だけするとギャンブルになりやすい。
だから、
知る → 判断する → 行動する → 結果を見る → また考える
という循環が必要です。
朱子学的に言えば、知識と実践を完全に切り離さないことが大切なのだと思います。
投資でも同じです。
決算を読んで終わりではない。
自分なら買うのか。
買わないのか。
持ち続けるのか。
売るのか。
そこで初めて、自分の考えが試されます。
市場一身論
ここから少し与太話になります。
私は株式市場そのものを、一つの巨大な生き物のように見ることがあります。
市場には常に資金が流れています。
資金は血液のようなものです。
銀行から半導体へ。
半導体から防衛へ。
防衛から高配当株へ。
ある業界へ資金が集中すれば、別のところから資金が抜けます。
市場全体を一つの身体として考えると、
各業界は臓器であり、企業はその細胞
のようにも見えます。
ある産業が異常に膨張すると、別の部分が弱る。
ショックが発生すると、市場全体が発熱する。
暴落すると資金が一気に安全資産へ逃げる。
この見方を、私は勝手に「市場一身論」と呼んでいます。
個人と市場と世界は入れ子になっている
さらに考えると、
個人の投資家がいて、
企業があり、
市場があり、
国家があり、
世界経済があります。
それぞれ別々に存在しているようで、完全に独立しているわけではありません。
個人の欲や恐怖が市場を作る。
市場の動きが企業を動かす。
企業活動が国家経済を作る。
国家政策が再び個人の投資判断へ戻ってくる。
入れ子のような構造になっています。
このあたりは、もはや株式投資というより哲学の話です。
でも投資を長くやっていると、こういうことを考えるようになります。
「勝つ」より「理から外れない」
株では勝ち負けが非常に分かりやすいです。
利益なら勝ち。
損失なら負け。
しかし一回の売買だけなら、偶然でも勝てます。
逆に、正しい判断をしても短期的には損することがあります。
そこで私は、
「一回勝ったかどうか」より、「理から大きく外れた判断をしていなかったか」
を見る方が重要だと思っています。
分からない株を勢いだけで買わない。
良い会社でも高すぎれば追わない。
悪材料が出ても企業の根本が変わっていなければ慌てない。
欲が出ていると感じたら一度考える。
こういう小さな判断を積み重ねて、市場から退場しない。
長く生き残る方が大事です。
私自身も読者と一緒に学ぶ
この「朱子学投資」は、完成された理論ではありません。
今後企業を調べるたびに、
「これは理と気で考えるとどうなる?」
「格物致知って、こういうことじゃないか?」
と少しずつ考えていきます。
そして面白いのは、
記事を書く前の私は、その結論をまだ知らない
ということです。
企業を調べ、朱子学の考え方と照らし合わせ、記事が完成する。
その瞬間に、
私も読者も初めてその考え方を読むことになります。
つまり著者自身も、記事という「観測」が行われるまで答えを知らない。
少し量子力学の思考実験みたいで面白い。
もちろん物理学として正しい話をしているわけではありません。
あくまで遊びです。
でもこのブログでは、
最初から答えを知っている先生が教えるのではなく、投資経験のある人間が読者と一緒に考えていく
というスタイルでやっていきたいと思っています。
まとめ|朱子学投資の基本ルール
今のところ、私の「朱子学投資」はこんな感じです。
理
企業価値、財務、競争力、需要、産業構造など、株価の奥にあるものを見る。
気
株価、出来高、熱狂、欲、恐怖など、短期的に激しく動くものを見る。
格物致知
IR、決算、商品、業界を実際に調べる。
居敬
値上がりで浮かれず、値下がりで恐慌状態にならない。
実践
考えたことを実際の売買判断につなげる。
市場一身論
市場全体を資金が循環する一つの巨大な生命体として考える。
そして一番大切なのは、
「自分は全部分かっている」と思わないこと。
企業を一つ調べるたびに、自分の考えも変わります。
このブログでは、その変化も含めて記録していきます。
数年後にこの記事を読み返して、
「昔の俺、こんなこと言ってたのか」
と笑っているかもしれません。
それもまた投資の面白さだと思っています。
※本記事の「朱子学投資」は、朱子学の学術的な解説を目的としたものではありません。古典思想の概念を株式投資へ自由に当てはめた、筆者個人の思考実験・投資哲学です。
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